大和郡山城内で壇ノ浦の源平合戦を実演して見せた源九郎さんは、その後、大和郡山の鎮守として藩中の畏敬と信仰を博するに至りました。

さて、この源九郎稲荷の神通力は、その後も発揮されました。

元和元乙卯年4月27日夜、
豊臣の家臣大野治房が数万の軍勢を率いて大和に入り、郡山城を攻撃しました。

時の城主、筒井定慶は籠城叶わず、遂に落城し、城中並びに市中一園が火に包まれました。

ところが!!
巽の方向の空に、突然炎をまとった龍が現れたのです!
その龍は、落城し火に包まれていたお城や市中一園に水を吐きました。
それにより、兵火を逃れることができたのです。
この龍は、源九郎稲荷が姿を変えて現れたと言われています。
(洞泉寺略縁起)

また、時は流れて徳川の時代・・・
参勤交代の際、多くの大名は大井川の氾濫により足止めをされました。

ところが、郡山藩だけは、一度もこの大井川の川止めに遭ったことがありません。

それは、なぜかというと、必ず川止めになる3日前に、源九郎の白狐が高啼きをして、川止めになることを知らせたからだそうです。

そのため分隊は川止めになるまでに、駆け足で隊を進めたといいます。

「大和の大和の源九郎はん。遊びんか。今は留守だす。」
と歌われた童謡は、大阪方面で歌われたものだそうです。

源九郎稲荷神社の勢力は、大和郡山市だけでなく、広く大阪まで及び、大阪商人等に多数の信者を持っておりました。

また、社殿が郭町の中に移されてからは、
縁結びの神様
として、遊女等にも篤く信仰されたそうです。

大和郡山の鎮守として迎えられた源九郎さんは、
商売繁盛の神様、
五穀豊穣の神様
闘いの神様
縁結びの神様
として、多くの人が崇敬する神社となっていくのです。