旧川本邸

洞泉寺町は、近畿でも名高い花街でした。源九郎稲荷神社は、この色の街である洞泉寺町の奥に今ではひっそりと建立しています。昔は、お稲荷さんの参道ということで、この洞泉寺町の賑わいはすごいものであったと伝え聞いております。

洞泉寺町は、売春防止法が施行されて遊郭廃止されるまで、政府が公認していました。戦前、奈良県内にあった遊郭は、奈良市の「木辻」、大和郡山市の「洞泉寺」、同市の「東岡(通称岡町)」の3箇所だけです。

「木辻」は、観光名所である「猿沢の池」から南に歩いて10分ほどの場所にありますが、今は住宅地に変わってしまっており、建物もほとんど建て変えられています。

ところが、城下町大和郡山市の2つの遊郭跡は、驚くほど姿が保たれています。

JR郡山駅を出て商店街の通りを西の方向に歩いていくと、7、8分で洞泉寺町に出ます。(近鉄郡山駅からも、商店街の通りを反対に東方向に歩いていくと7.8分で到着です)
寺の参道に幹を連ねる遊郭は江戸時代初期から存在していたらしいです。
幕末には6軒、昭和初期には17軒の妓楼がありました。

現在も6軒の建物が、それほど退色することなく、周囲を圧倒するような連子格子もそのままの姿で建っています。

その中でも、毎年「夕涼み会」が行われる「旧川本邸」は、若者ボランティアの手で蘇り、墓地を見下ろす楼閣の窓に、ハート型の明り取り窓が口を開けてその存在感をアピールしています。

現在この建物は大和郡山市が所有しており、奈良県の重要文化財にも指定されております。

洞泉寺町の遊郭は、経営者が教養・知識人であったことから、遊女達にも、いろんな教養を身につけさせていたと聞いています。
夕涼み会でお茶席を開いてくださった川本さんを見ていると、その教養の高さがうなずけました。

しかし、地元の人の中にはこの洞泉寺町を毛嫌いする人も存在し、遊女達は、歴史の中で被差別民とされていたことが伺えます。
源九郎稲荷神社は、そんな遊女さん達を優しく見守り続けて、そして遊女さん達の心の支えとなり大切にされてきた神社です。

私達神社復興スタッフは、遊郭の建物を再利用することで、復興活動の活性化を図って来ました。それは、遊郭は悲しい歴史を持った負の遺産ではあるけれど、負の遺産も大切に保存し、後の世に伝えていくことが大切だと考えているからです。

源九郎稲荷神社と遊郭建物は切っても切れない関係です。現在旧川本邸は耐震工事のため内部拝観ができませんが、工事が終われば、是非旧川本邸にも立ち寄り、遊女さん達の残してきた歴史に心を寄せてあげてほしいと思います。

 

〰大和郡山市旧川本邸紹介文〰  (大和郡山市ホームページより引用)

旧川本邸は、本館、座敷棟、蔵及び納屋の3棟が重要文化財に登録されました。旧川本邸は、大正時代後期に建てられた遊郭建築で、道路に面して本館を建て、背後に座敷棟、納屋・蔵を配置します。

本館は木造三階建てで、棟札から大正13年(1924)に建築されたことが判明します。正面の表構えに組み込んだ連子を各階ごとに細かく意匠を変え、きわめて繊細な壁面を構成しています。間口も広く、格式の高い豪壮な造りです。

遊客を招き入れる一階の玄関、客間を並べて配する二・三階は当時の状況をよく残しています。全体として素木造りの比較的簡素な内装を施します。
座敷棟、納屋・蔵棟も同時期のものであり、近代遊郭の屋敷構えを知ることができる貴重な近代和風建築です。