名前の由来

源義経が兄頼朝との戦に際し、義経は幾度もこの稲荷に助けられ、この稲荷に源九郎の名を贈ったという伝説が、社名の由来となっています。

また、源九郎狐は歌舞伎の演目である「義経千本桜 四ノ切」で主人公として登場します。多くの歌舞伎役者がこの源九郎狐を演じておりますが、その中でも特に澤瀉屋の十八番となっており、三代目猿之助、四代目猿之助の演じる源九郎狐は高い評価を得ております。

神社の由緒

大和郡山城主となった大納言豊臣秀長は、自分と自分が治める大和郡山の守護神となる神様を大変望んでおり、最初は桜井にある談山神社の神様を鎮守としてお迎えしました。

ところが、神様との相性が悪いのか、どうもうまくいきません。

遂に神様が逃げ出し桜井の山へ帰ってしまわれました。

そんな最中、秀長は宝譽上人という高徳の僧が大和長安寺村にいると聞き、城内に招いて説法を聞いて感服し帰依しました。

そして、自分の守護神となる神を探していることを告げました。

 

秀長さんから相談を受けた後、宝譽上人さんの夢枕に源九郎と名乗る白髪の老人が現れました。

そして「郡山の南に御堂を建て、茶枳尼天を祀れば貴方と郡山藩の守護神になろう」と言いました。

上人はこの夢のお告げを秀長さんに伝えます。

この話を聞いた秀長さんは、たいそう喜んで、上人に御堂を建ててやりました(現在の洞泉寺町)

上人は三河挙母郡山霞渓山洞泉寺の寺号の洞泉寺をこの寺に移し、自ら源九郎茶枳尼天の像を刻み、境内の別の祠堂に安置して日夜勤行を怠らなかったそうです。

そして、郡山城内には竜雲郭が建てられ、源九郎大明神が篤くお祀りされたそうです。享保4年(1719年)

その後、現在地に遷座。大正14年(1925年)、現社殿が完成ました。

また、源九郎稲荷神社のお隣の洞泉寺には、上人が刻んだと伝えられている源九郎茶枳尼天の像が安置されています。